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能登半島地震と 全国老施協DWATの 活動を振り返ってvol.3  全国老施協DWAT参加者に聞く

派遣された全国老施協DWATのメンバーは、2025年1月10日現在で116チーム、333人で、現在も派遣は続いています。今回はその中から5チームに取材しました。


 今回、私たちの施設からは2人の職員が全国老施協DWATとして参加しました。派遣されたのが5月初旬だったこともあり、被災直後の混乱はなく、ご利用者、職員ともに明るく元気な様子だったことにホッとしましたが、それだけに被災施設の日常業務の中にいかに自分たちを組み込んで、役にたてるかが課題となりました。

 岐阜県からの出発で、道路の復旧も遅れていたため、往復に時間もかかり、また初日と最終日には引き継ぎもあったため、実質的には3日間の活動となりました。

 派遣先は約100人規模の特養でしたが、手助けする職員に偏りが出ないようにするために、3日間ともそれぞれで別のユニットを担当することになりました。そのため、前の日に覚えたことを次の日に活かすことが難しい場面もありました。

 今後の改善点としては、派遣された職員にはできるだけ同じ業務を継続して担当させることや、説明が少なくても実施できる作業を任せるのがよいのではないないでしょうか。そして派遣職員には、指示がなくても自発的に動ける能力も必要とされると感じました。

 また、岐阜など全国各地からの派遣であることがわかる「名札」があれば、ご利用者との会話のきっかけになるし、支援先のスタッフにも名前を覚えてもらいやすいと感じました。

 今回、私は全国老施協DWATの養成研修は受けていなかったので、今後のためにぜひ研修も受けておきたいと思っています。研修の基本的な内容のビデオ教材なども積極的に活用したいです。

 能登半島での経験は自分自身にとって、また自分たちの施設のBCP計画見直しのためにも、大変価値のあるものとなりました。ぜひ多くの方に研修に参加して、全国老施協DWATに参加していただきたいと思います。


 DWAT養成研修を受講した直後に発災があり、今こそ自分が行動すべきだと考えて参加を決めました。全国老施協DWATの第一陣として発災から11日後に到着した被災地の状況は想像を超えるもので、施設では電気は復旧していたものの水道は断水状態で、自衛隊が水を運んでいました。

 余震が続き、ご利用者は個室ではなく食堂などの共有スペースの床に布団を敷いて過ごしていました。横になっている時間が続き、栄養も十分とはいえないため、褥瘡や体調の悪化、ADL低下が進み、衛生状態の悪化からインフルエンザも流行していました。災害そのものによる直接的な被害よりも、その後の環境悪化による関連死が多く発生し、DMAT(災害派遣医療チーム)の判断で、他の医療施設への搬送が行われました。

 私たち派遣チームは若いメンバーが多く、職種を超えて水くみ、トイレ掃除、食事提供、介護業務などさまざまな雑務や支援活動を行いました。最初は施設側も混乱していて、外部からの支援受け入れに戸惑いがあるようでしたが、最終的には支援に感謝の気持ちを示していただき、心からうれしく思いました。

 今回の派遣は急きょ決まったため事前の打ち合わせはなく、メンバーは自分ができることを想定して準備しました。今回の活動を通して感じたことは、支援は派遣する側はもちろん、受け入れ側の準備も重要で、それぞれの役割分担や勤務体制なども、BCP (事業継続計画)に含めるべきなのではないかと思いました。

 機能訓練指導員としての立場からは、災害支援では介護業務だけでなく、利用者のADL低下を防ぐためのリハビリ的なケアも重要だと思いました。長時間、動かせないことでからだがかたまり、痛みを訴えるご利用者も多かったため、少しでもからだが動かせるように施術を行えたことはよかったと思っています。


 被災地に入って最初に思ったのは、報道と実際の現地状況には大きな隔たりがあるということです。発災からまだ17日後だったこともあり、被害はひどく、現地に足を運ばないと実態は把握できないのだということがわかりました。

 今回、全国老施協DWATとして活動し、感じたことがいくつかあります。まず、支援者はボランティアとしての知識や心構えを事前にもっておくことが、現場でスムーズに活動するためには不可欠で、そのためには研修を受けておくことも必要になります。

 また支援チームには明確なリーダーシップと具体的な目標設定が重要ではないでしょうか。指示待ちではなく自ら行動する姿勢が大切になります。さらに強いストレスにさらされ、疲弊している現地スタッフとうまく連携するためにはコミュニケーション能力も必要になります。

 ただし、災害発生からの時期によって現地の状況も、必要な支援内容も変化してくるので、初期の混乱期、2週間後の疲労蓄積期、1カ月以降の不満対応期など、状況に応じた対応が必要だと感じました。

 また支援に費やせる時間をできるだけ無駄にしないためには、支援チーム間の引き継ぎノートが効果的で、今回も情報共有のための重要なツールとなりました。

 能登半島地震の被災地へは法人全体で約18人が派遣されました。愛知県でも東南海地震への備えが叫ばれている中、この体験を被災者視点で捉え、学んだことを私たちの施設はもちろん、地域住民、専門職などでも共有することが、次の災害への大きな備えになるのは間違いありません。

 そして災害支援には組織間の連携が重要で、法人同士のネットワークや全国的な組織力の構築が必要だと改めて痛感しました。


  

 被災地には被災直後から何回か応援に行きました。被災直後の施設は食料が不足していたり、ライフラインが止まったままだったりと大変な状況でしたが、被災から1カ月ほどたった施設でもさまざまな問題が残っていました。その一つが褥瘡の悪化です。被災施設ではどうしても安静に過ごしてもらうことを余儀なくされ、また長期にわたって栄養が不足することによって約3分の1のご利用者に褥瘡が発生しているケースもありました。専門医チームが毎日ラウンドして治療にあたり、私たち応援部隊の看護師も治療の手助けを行いました。その結果、5日間の活動の最終日には褥瘡もかなり改善されました。

 施設の看護師については、高齢の方が多かったこともあり、発災直後の過酷な環境とハードな仕事により疲労が蓄積し、看護師自身が体調を崩したり、入院している施設も多く見受けられました。発災直後からの看護師の支援の必要性を痛感しました。

 また被災地では看護師と介護士、医師との連携が重要になります。心肺停止のご利用者が発生することも多かったのですが、主治医も被災していたため、救急車で病院に搬送して死亡確認を行う必要が生じました。

 被災施設の看護師や職員の方々と、できるだけスムーズに連携がはかれるように、今後の災害支援には業務コーディネーターのような立場の人がいてもよいのではないでしょうか。

 また、福祉避難所を兼ねている施設では、避難してきた住民の方々にも備蓄の食料を分けてしまったため、すぐに足りなくなるという事態になりました。食料や水の備蓄は3日分ではとうてい足りません。今回の能登半島地震のように、ライフラインの復旧が予想外に遅れることも考えて、地域の方々のための備蓄をどう確保し、どう分配するかも課題になると思いました。 


 全国老施協DWATとしてそれぞれ別の施設で2回活動しました。2月下旬に応援に行った施設では電気以外のライフラインが未復旧でした。地震によりスプリンクラーが誤作動した影響で、建物の半分以上が使用できず、ベッドや簡易トイレを置いた廊下や食堂を居住スペースとせざるを得ない状態でした。スタッフの皆さんも被災者で、避難所生活や車中泊をしながら出勤され、本当に大変なご苦労をされていました。 私たちは支援物資の運搬や、基本的なケア業務を担当しました。スタッフ同士でお互いの被災状況を励まし合うことも大切なメンタルケアだと感じましたので、私たちの活動が多少でもその時間の確保につながればと思っていました。 2回目の活動は発災から10カ月後で、ライフラインは復旧していましたが、建物内外のひび割れの修理が長引いていました。基本的なケア業務の他、順に修理を進めるための施設内でのお引越しのお手伝いも担当いたしました。

 施設ごとのやり方はあっても、同じ特養であり基礎は通じています。今後の災害でも、基礎を同じくするスタッフが助け合える全国老施協DWATの重要性を感じました。

 またこの経験を通して「発災時に指示役のスタッフが無事で勤務しているとは限らない」というリアルな教訓を得ることができました。そこで自施設に戻ってから、基本的なBCPの策定とは別に、どのスタッフでも読み込める要点のみの簡易的なBCPハンドブックや、応援に来てくれたDWATに向けた事前依頼書などを作成しました。今も大変なご苦労をされている能登地区の皆さんの復興を心よりお祈りしています。


 

 

写真提供=全国老施協DWATの皆さま 撮影=吉岡栄一 取材・文=池田佳寿子