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能登半島地震と 全国老施協DWATの 活動を振り返ってvol.2  社会福祉法人輪島市福祉会 特別養護老人ホーム あての木園

2024年1月1日の発災直後から1年以上にわたって活動した全国老施協DWAT。介護専門チームによる支援は被災した施設にどのように役立ったのか、また支援する側にとってどのような学びごとがあったのか、当事者にインタビューしました。そこから見えてきたのは、地震大国の日本にいる限り、発災後 1カ月以内のBCP計画だけではなく、復旧まで長期にわたる場合も想定し、事業再開から継続への道筋も考えておく必要がある等の教訓です。今回は多くの方の証言をもとに、これからの老人福祉施設のとるべき方策を探ります。

 

支援を受けた施設に聞く

震災直後の状況と課題▶︎ 道路で掲げた プラカードに書いた『灯油を分けてください』の文字

 地震発生時の16時10分ごろは施設内では夕食の準備中で混乱が生じましたが、入居者・職員ともに幸い地震によるけが人はいませんでした。

 建物内ではガラスの破損や天井からの漏水が発生し、直後に停電・断水が発生。業者のお正月明けを待って灯油の補充をしようと思っていたことが敗因となり灯油が底をつき、職員がプラカードを持って道路に出て、道行く車に灯油援助の支援を求めました。

 この様子が地元のニュースで報道されたこともあり、地域の方のみならず、神奈川県の方からも支援の灯油をいただき、広い食堂にダルマストーブで暖をとり寒さをしのぎました。

 さらに、私自身がガス、電気、ブレーカーなど、施設の設備について知識不足だったことにより、復旧作業に支障が出てしまったのは痛手でした。停電のため光回線電話は全く使用できず、通信手段が限られました。光回線電話が使用可能となったのは2月中旬でした。

 また自衛隊からの支援物資はありがたかったものの 、インスタントラーメンなど高齢者には適さないものが多く、おかゆなどの高齢者向けの食事が不足しました。

 2007年の能登半島地震時には被害がなく、むしろ避難所として20人以上を受け入れた経験があり、今回の被害の大きさは予想外で、油断があったことも否めません。

入居者は 全員避難。職員は全員休職▶︎ それでも 早期の再開を願って 誰もいない園に通い続けた

 このような設備の故障や備蓄不足などを理由として1月12日までに全ご利用者を避難させることとなり、一部の方は病院へ救急搬送されました。

 ご利用者全員を送り出したあとも、それでも、この施設をなんとか再開させたい、職員の仕事を奪いたくないという一心で、設備の修復や書類作りのために、私は誰もいないあての木園に通い続けました。  

事業再開まで▶︎ 被災による休業が、 職員の勤労意欲の 低減に

 震災前は116人いた職員のうち、自宅が被災し、転居先で仕事を始めるなどして54人が退職しましたが、休職という形で残った職員の雇用を守るためと高齢者福祉の必要性を再認識したことで、事業の再開と継続に取り組むことを決意しました。いまだ使えない設備が多いという困難な中でしたが、まずは在宅サービスから始め、7月22日に、ついに入居者の受け入れを始めました。

 しかし、施設の再開を告げたのと同時に、さらに多くの職員が退職したことが何よりショックでした。

 法人の収益が震災前の約10分の1に減る中、雇用調整助成金で給料の8割を賄い、残り2割の月約1000万円は法人が負担してきました。しかし、給与を受け取りつつ、アルバイトもできて、被災した自宅の片付けなどにも時間を使えた職員にとっては、本格的に復職するモチベーションは低かったということです。

 もしも今後、同じように災害が長引いた場合には、休業していない別の施設に手伝いに行くなどした方が、再開したときに復帰しやすくなるし、職員自身のライフスタイルも変えずに済むのではないかと、今は考えています。

 

 

■事業継続の難しさについて ①
自分たちだけで変えられることではないが、
インフラ(水道・電気)の早期復旧が重要。
それにより事業継続の意欲が湧き、
支援も確実に来るという希望をもつことができる

 受水槽(36トン)が地震で破損するなど施設の水回り設備に深刻な被害がありました。配管も損傷していたため、水が全く供給されない状態が11月まで続きました。2025年2月時点で建物自体は復旧したものの、お湯は全館の2分の1しか使えない状態で、排水処理の問題は残っています。しかし簡易トイレの使用を徹底することで、衛生状態はある程度維持できることもわかりました。

 2月末からはデイサービスの一部営業も再開し、循環式シャワーを設置して、避難者とデイサービス利用者の両方に提供しています。私自身も避難所暮らしを体験しましたが、そこでの経験から得られる情報や支援物資の活用方法は、施設運営の参考になりました。

 
■事業継続の難しさについて ②
目先だけではない、半年後、
1年後を考えたBCPの策定が必要

 今回の災害を経験したうえで認識したのは、道路の寸断や重要設備の損壊など、施設ごとに事業継続が不可能となる条件は異なるので、それも考慮したうえで、必要な項目をBCPに組み込まなければならないことでした。

 現在、入居者数は40人程度にとどまり、収入面で厳しい状況が続いています。地震後、要介護認定者数は増加しているものの、実際のサービス利用者が減少しているのは、多くの住民が他地域に避難したままで、地域の介護サービスの需要が予想より低くなっているからです。

 そして当施設でもキャパシティーはあるものの、職員不足により受け入れ拡大は困難です。しかし社会福祉法人は地域にとって重要なものです。短期的なBCPだけでなく、長期的な事業継続のための対策を練ることが大切で、その一つとして全国老施協DWATの支援も5月まで延長させていただくことにしました。この応援を力になんとか頑張りたいと思っています。

 

■全国老施協DWATについて
遠い道のりを来ていただくのは、
申し訳ないし、時間がもったいない。
登録者を増やして、できるだけ
近県から来ていただくのが効率的

 
 支援の効率を考えると、できるだけ近県から来ていただく方が無駄がありません。そのためには日頃から近隣施設との協力体制を構築しておく必要もあると思いました。

 

 また支援を通じて学び合ったことを日常業務にも活かすために、応援部隊が帰路につく日などに、短時間でも意見交換の時間を設けられたらよかったと思います。

 

  さらに、災害時でも介護報酬改定の届け出や雇用調整助成金の申請など事務作業が必要になります。もし可能であれば、事務的支援も受けられると大変助かります。

 

■全員避難するかどうかの選択について
避難して、戻ってきたあとのことまで
考えておかなければいけなかった

 避難とは一時的な退避であり、必ず戻ることが前提のはずなのに、避難後の施設の復旧作業や施設再開までの計画が不十分でした。全員避難が妥当だったのか、一部でも施設を継続運営する選択肢もあったのではないかと反省しています。避難の判断基準を明確にする必要があります。

 また避難した施設は支援が得られにくいという問題もあります。もしも同じような災害がまた起きた場合は、可能な限り施設運営を継続する方法も追求した方がよいという教訓を得ました。

 

撮影=吉岡栄一 取材・文=池田佳寿子