福祉施設SX
能登半島地震と 全国老施協DWATの 活動を振り返ってvol.1 社会福祉法人 白字会 特別養護老人ホーム ゆきわりそう
2024年1月1日の発災直後から1年以上にわたって活動した全国老施協DWAT。介護専門チームによる支援は被災した施設にどのように役立ったのか、また支援する側にとってどのような学びごとがあったのか、当事者にインタビューしました。そこから見えてきたのは、地震大国の日本にいる限り、発災後 1カ月以内のBCP計画だけではなく、復旧まで長期にわたる場合も想定し、事業再開から継続への道筋も考えておく必要がある等の教訓です。今回は多くの方の証言をもとに、これからの老人福祉施設のとるべき方策を探ります。
支援を受けた施設に聞く
元日に出勤していた職員は約30人。その直後から、ご利用者とともに施設に缶詰め状態になりました。
灯油の備蓄はあったものの、道は寸断され、電波も通じないため連絡もとれない。給排水はもちろん使えない。しかしゆきわりそうは、発災直後から今日まで1日も休止することなく施設の運営を続けてきました。
あれほどの被災状況の中で、なぜそう決断したのか。それは、要介護3以上の高齢者を、全員市外に避難させることは非現実的だと考えたからです。緊急性があると判断された30人ほどは救急車やヘリコプターで市外の病院などに搬送されましたが、その中で決して少なくない数の方が亡くなりました。搬送して環境を変えるという判断が正しかったのか、忸怩たる思いがあります。
施設に残った90人ほどの高齢者には被害の少なかった部屋に集まっていただき、そこでご利用者と職員が一緒に雑魚寝する日々が続きました。排泄も食事もすべてその部屋で行い、入浴はもちろん、清拭も十分にはできない。自分自身の家が被災している職員もいる中で、全員が精神的、肉体的に限界に来ていました。
3日目ごろからは徐々に支援物資が届いたり、自衛隊の給水車が来てくれたりするようになりましたが、大量の支援物資を運び入れるにも、自衛隊に対応するにも人手が足りなく、職員の疲弊が増すことに変わりありません。
自分たちだけで踏ん張っていた私たちにとって心強かったのが、全国からの炊き出し部隊やボランティア、そして全国老施協DWATの応援です。
発災直後の2〜3カ月は主に食事作りを手伝っていただき、がれきの撤去や、ペットボトルの運搬などの力仕事もお願いできたことが、大変助かりました。
通常業務の流れが戻ってきたころからは、被災して休業を余儀なくされた近隣の施設から、職員が手伝いに来てくれました。
7月には大山会長の来訪も受け、力強い励ましの言葉をいただき感動しました。全国老施協DWATの応援派遣も定期的となり、ベテランの介護士がご利用者の傾聴などを担ってくれたことも、非常にありがたかったです。
今でも人手不足は続いていますが、 10月以降は全国老施協DWATへの依存を減らすために、ショートステイの受け入れを一時中止し、特養部門の運営に注力する体制に移行しています。
市内には再開できていない施設が多く、
新たな需要は増加しているのに、
職員不足により空室を活かせない
震災前に130人いた入所者のうち2025年2月現在入所者は80人のみ。職員も30人減って入所者も40人ほど減って縮小規模でなんとかやりくりしている状況です。人手不足が進んで、10月以降ショートステイの受け入れは断念しました。現在、ショートステイ20床と地域密着型29床、合計約50床が空いています。休業した他施設の多くは現在も再開ができずにいて、新たな要介護者の需要は増加しています。ゆきわりそうに空室はあるけれど、人手不足で新規要介護者の需要増加に対応できないという矛盾があるのです。
8月の水害でトンネルの開通が遅れたことが、
「さあ、これから!」と前を向こうとする
職員の心をくじきました。
これからどう対応していくかが一番の課題
2024年4月以降、特に20〜40代の職員が、将来の生活や子供の教育を考えて金沢などに転居し、職員の離職が相次ぎました。ゆきわりそうがある門前と輪島市内を結ぶトンネルが9月に開通予定でしたが、直前の水害で使用不可となり、従来の迂回路を使用せざるを得ない状況が続いていることも影響しています。トンネル整備による交通アクセスの改善が期待される3月をめどに、ショートステイの再開を目指しています。(2025年2月13日)
※石川県の発表によりトンネル整備は2025年8月末に延期され、ゆきわりそうでは未だに人員確保のめどが立っていない状況。
受け入れ側の状況もしっかり伝えて
より支援しやすくすることで
この活動の価値をさらに上げることができる
支援を受け入れる施設側でも宿泊場所、食事、シャワーなどの設備状況を事前に明確に伝えておけば、支援者側の準備がよりスムーズになるのではないかと思いました。
長期にわたる支援となると時間の経過とともに必要となるスキルも変わってきます。施設が回り始めるに連れて、ご利用者との交流や見守りなどを任せられる介護士の応援がありがたかったです。
そして被災施設の職員のメンタルケアも重要な課題だと気づきました。支援に来てくださる方はご利用者だけでなく、現地職員への精神的サポートもお願いできると非常に助かります。
一番の問題は水!
ペットボトルの水で清拭を続け、
自衛隊の給水車で、やっと洗ってあげられた
水の確保は災害時の最大の課題で、特に入浴介助には苦労しました。自衛隊の給水車が来て震災後初めてからだを洗ってあげたときには、職員も泣いて……。ご利用者も「ありがとう、ありがとう」と。その後は訪問入浴のボランティアに来ていただきました。完全に通常の入浴が可能になるまでに9カ月以上かかりました。
震災直後から大量のペットボトルの支援が山積みになっていましたが、煮炊きはもちろん清拭にも使用したので余ることはありませんでした。食料や衛生用品などの物資は比較的早期に確保でき、プロパンガスも使用可能でした。電気が10日で復旧したので救われました。これで暖房や調理が可能になりました。
撮影=吉岡栄一 取材・文=池田佳寿子