福祉施設SX
結果発表! 第18回 介護作文・ フォトコンテスト 〜見つけた、介護の魅力、喜び〜 PART.03 作文・ エッセイ部門(高校生以下の部)


[ 高校生以下の部 ]総評コメント
高校生以下の皆さんの作品には、介護の現場や家族の姿を身近に感じ取った率直な言葉が溢れていました。私にも高校生の息子がおりますが、若い世代がこれほど深く介護を考え、実体験から学んだことを的確に表現する姿には心から感銘を受けます。祖父母や地域の方々との交流で得た気づきは、大人の私たちがつい見落としがちな視点を含んでおり、将来の介護を支える大切な種となるでしょう。皆さんの感性と成長を感じる秀作揃いでした。
全国老施協 理事 林 素子
記憶の中の笑顔 鹿児島県 濵田 さん
祖母が認知症と診断されたのは私が小学五年のときだ。福岡に帰省した際、母が祖母に異変を感じ、病院に連れて行ったのだ。鹿児島に戻ってからも、私たちは認知症について調べ、認知症には五つの段階があり、祖母は三段階目にあたるとわかった。薬を飲めば進行を遅らせることができるが、完全には治せない。しかも、祖母は薬を飲んだことすらすぐに忘れてしまうのである。
今年の夏、祖母の症状が進んでいることを覚悟して帰省したはずだった私たちだが、想像以上の状況に立ち尽くしてしまった。テレビは爆音、テーブルには生活用品が何十個も積み上げられ、冷蔵庫は同じ野菜ばかりが入っている。まるで違う家に来たようで、「どうしておばあちゃんがこんなことに……」と、その日はショックで、なかなか眠れなかった。しかし、私以上にショックを受けていたのは母だったに違いない。祖母は何回も同じ質問を繰り返す。私が根気強く、祖母に何度も同じ言葉を伝える様子を見ながら、母は苦しそうに顔をゆがめていた。もし、母が認知症になってしまったら、私もどれだけ辛いだろう。悩みすぎた母が体を壊してしまわないだろうかと、心配になってきた。
ある日母が「これ読んで。」と私に手紙を渡してきた。そこには母が祖母に伝えたい気持ちがまっすぐに書かれていた。
「お母さんへ。私のことまだわかる?私はあなたの娘。小さいころ、遠足のとき、泣いたとき、疲れて帰ったとき、あなたが作ってくれたおむすびが大好きだったよ。あなたの笑顔と優しい声が、ずっと私の心の中に残っています。覚えていますか?私が東京に進学すると突然決めたときのこと。何の相談もしないまま報告したのに、驚くことも怒ることもなく『いいじゃない、あなたがきめたなら。』と応援してくれました。私を信じて支えてくれました。本当に感謝しています。今、あなたの手を握りながら、あなたを見つめて話しているよ。あなたは同じことを何度聞いてもいいの。私はそのたび、答えます。あなたが忘れてしまっても、私は覚えています。あなたが私を大切に育ててくれたことを。どうか安心して。あなたは一人じゃないよ。私も、私の娘たちもずっとそばにいるから。大好きだよ。お母さん。あなたの娘より。」
母に代わって、声に出してその手紙を読んだ私の顔をじっと見つめて、祖母は「ありがとう」とつぶやいた。私は、母の思いがちゃんと祖母に届いたと思った。
祖母は、母の子供時代などはよく覚えているが、一時間前のことはすぐ忘れてしまう。祖母に同じ質問をされると、正直疲れてしまうこともあるが、私はしっかり答えていこうと思う。伝えたい気持ちは、きっと届くと信じて。祖母にずっと笑っていてほしいし、母にも安心してほしい。祖母と母を支えたい。
あの日の約束 兵庫県 平井 さん
「折り紙は?」そう言って私と初日に交わした約束を覚えてくれていた利用者の方がおられた。
私が通っている高校は、福祉科と看護科が設置されている。福祉科では福祉の専門的な知識や技術を学び、一年生から施設実習が始まる。養護老人ホーム、デイサービス等に行き現場での介護技術を学んだり、コミュニケーションを取ることはもちろん、利用者の方とぬりえやゲームなどをすることもある。利用者一人一人、施設にいる理由は違う。中には家族とのトラブルが原因で入所しておられる方もいる。見た目は一緒でもそれぞれ抱えている心の悩みが違うことを知り、私は実習中一人でも多くの方の「笑顔」を見ることを目標にいつも実習に行っている。
二年生になり最初の実習は小規模多機能型施設であった。その六日間の実習中に奇跡のような瞬間があったことを今でも時々、思い出すほど覚えている。あれは、女性利用者のK氏に初めて話しかけた時のことだ。私は折り紙が趣味な為、事前に四つ葉のクローバーを折っており、K氏に見せると「かわいい」と言って笑顔になってくれた。するとK氏は「これ折りたい」と私に向かって言った。とても嬉しかったが、折り紙を持って来ておらずK氏が次回来る際に折り紙を折ることを約束した。K氏は認知症はないが年相応の物忘れがあることを知り、私はどうすれば覚えていてくれるのかを考えた。そして、私が折った四つ葉のクローバーをK氏に渡し、思い出してもらおうと思った。これなら覚えていてくれるはず。そんな想いを抱え、日にちは過ぎていった。ある日、私は職員の方と共にK氏の自宅へ訪問介護に行った。K氏の部屋の周りには折り紙の飾りが壁に貼ってあり、K氏が折り紙好きだと知ることができた。ただ、悲しかったのは私の名前を覚えられていなかったこと。名前が覚えられていなければ、折り紙の約束も覚えていないかもしれない。そんな不安な想いのまま、実習最終日を迎えた。
たとえ名前を覚えていなくてもいい。折り紙を折ると約束したあの日のことも。覚悟を決め、K氏の元へ行くと「折り紙は?」と言われた。私はこの瞬間、あの日の約束を覚えてくれていた嬉しさと感動で涙が止まらなかった。それからK氏と一緒に沢山笑い合いながら折り紙を折った。そして別れる前にK氏が「折り紙楽しかった。ありがとう。」と今までで一番の笑顔で言ってくれた。
私はまた一人、本当の笑顔を見ることができた。この笑顔で毎回、やりがいを感じる。何気ない日々に、実習生が来た時だけは笑顔になってほしい。
その想いで今日もまた、咲ききれてない笑顔の花を咲かせに行く。
ドキドキして、電車に乗って始まった二日目の職場体験学習。私は、医療関係の体験学習だ。一日目は大きな病院だったため、二日目の介護施設の体験学習は乗り気ではなかった。
「おはようございます。」私たちが体験する介護施設は三階建ての、思ったより小さな建物だった。施設の方が笑顔で迎え入れてくれた。施設を利用している高齢者の方々は、テレビや新聞を見たり、おしゃべりをしたり和気藹々としていて、上がっていた肩も下がった。まず、施設の方は利用者の方とのおしゃべりを進めた。私は、人見知りのため、気が進まなかったが、利用者の方の話に耳を傾けた。
「私が中学生のころに、戦争が終わったのよ。その年は台風が来て、不作だったから食料難だったわ。あなたたは、恵まれているわ。何かあったら、なんでも飛びつきなさい。」
利用者の方とのおしゃべりは、少し重たい話にはなったが相槌を打ち、話を聞くのは苦痛ではなく、むしろ楽しかった。施設の方の「次の体験に移りましょう。」の声がかかるまで時間を忘れて話を聞いていた。
施設の三階には宿泊施設があり、施設の方は少し急いだ様子で私たちを案内した。「めったに見ることができないと思うから。」と施設でただ一人の看護師さんが言った。私はそれを見て衝撃を受けた。お腹にチューブをつないで食事を取っていたのだ。「この利用者の方は、家では夫さんが見てくれているのよ。その夫さんも、この施設を利用しているの。」「老々介護ですね。」と近くにいた施設の方が付け加えた。私は、また、さらに衝撃を受けた。介護を必要とする人が、介護をしているなんてあっていいのだろうか。しかし、介護する側の立場に立って考えると、大切な人の世話を最後までやりたいのはとてもよくわかるなと思う。また、介護される側も、最後まで大切な人のそばで、大切な人から介護されるのは、嬉しいだろうなと思う。介護は、人それぞれだ。家にいても退屈だからとか、認知症や足腰が弱くなることの予防、本格的な介護のため、家族に負担をかけないためなど様々な目的で施設を利用している。介護は、多くの人が歳を重ねるにつれて必要とするものだ。その中でも介護施設は、人生最後を飾るもの。だからこそ、介護の仕事は大切だし、やりがいのあるものだと思う。この職場体験学習を通して、医療関係という職業はもちろん、様々な人生や介護、自分の人生を考えることにも繋がった。
「ありがとうございました。」介護施設を後に、私はまるで、しばらく家族と離れるときのようなさみしさを感じた。とても温かく、家族のような職場だなと思った。
じいちゃんと歩む未知の世界。神奈川県 佐藤 さん
「じいちゃん!あんね、高校合格したよ!」
「おー!よかったな!」そう言って一緒に喜んでくれた。
そんなじいちゃんは、私が小学四年生のときに認知症になった。小学四年生の私には、まだ、認知症をしっかりと理解することはできなかった。認知症とは、手術や薬で治るものだと思っていた。だけどそうではなかった。認知症というものに理解をしていない私に母は言った。「じいちゃんは、これから、いろいろなものが分からなくなるんだよ。」その言葉を聴いて、頭が真っ白になった。昨日まで元気に仕事に行ってたのに。「なんで?」とずっと思っていた。
じいちゃんが認知症になって初めての春休みがやってきた。毎朝、じいちゃんと散歩に行った。毎回、散歩の途中でジュースを買ってくれた。「ぜんぜん、忘れてないじゃん」と思っていた。この春休みがじいちゃんが完全に覚えている最後の春休みとなった。それからは日に日に分からなくなっていた。私や母の名前ですら、ヒントをあげないと出てこなくなった。
月日が経つにつれどんどんと進行してくようになった。だんだんと私の話しを理解しているのかが、分からなくなった。その現実がとても悲しかった。さらに、食事をしているときのじいちゃんは別人のようになっていった。今まで嫌いだった食べ物を口にしたりよだれがたくさん出ていたり。それを見て、「この食べ物嫌いだったよね?」や「汚いな」と思ってしまった。そんな中、母や祖母は何も言わず世話をしていた。「あんも手伝って」と言われた。私は、嫌だ。汚いから手伝いたくないと思った。大好きだったじいちゃんが大嫌いになりそうだった。
機嫌が良いときのじいちゃんは、認知症になる前のように普通に会話ができる。会話をしていると、きまって、「あんの好きな物を買ってあげる。」と言ってくれる。それを聴くとこの現実が嘘なんじゃないかと思う。
その時、私達の心の支えとなったのは、愛犬だった。一緒に生活しているだけで笑顔が増えていき家の中が明るくなっていった。アニマルセラピーはこんなにも効果があるのだと実感した。
そして、高校が決まって、じいちゃんに報告すると一緒に喜んでくれた。新しい環境にも慣れていき高校生活を報告するといつも笑顔で聴いてくれる。笑顔を見るたび私も笑顔になる。この笑顔を見るとどうしてじいちゃんが認知症になってしまったのかと思う。だから、もっと会話をしてもっとたくさん笑顔を見たいと思った。
今までよりもこれからのほうが大変なことが増えていくと思うから積極的に、歩行のサポートや今の私にできる介護の手伝いをしていきたいと思った。
僕が祖父にできること 鹿児島県 F・Y さん
僕の両親は共働きなので、僕が帰ると、祖父母が面倒を見てくれた。僕が小学生になってからも、祖父とはよく一緒に散歩をしていた。でも僕が五年生の二月のある日、学校から帰ると、祖父が床で横になっていた。
「じいじい、どうしたの。」
僕がびっくりして祖父に言うと、「動きたいんだけど動けないのよ。ごめんだけど、友基、じいじいの体を起こしてくれないね。」と。僕が後ろから支えて起こそうとすると、「あいたたたたた。もうしないで。」
すごく痛がったので、母が救急車を呼んだ。祖父は、腰を圧迫骨折していた。腰の手術をして車いすには座れるようになったが、祖父が歩くことはなくなった。だんだんとねたきりのような生活になり、祖父はどんどんやせていった。痰がからむことも多くなった。食事でむせることも増えてきたので、病院の先生から、胃ろうをすすめられ、手術をした。腰の手術以来、ずっと病院や施設にいる祖父は、少しのことで怒るようになった。
僕は、祖父は家に帰ってきたら元気な祖父に戻るんじゃないかと思い、「じいじいを家に連れて帰ってこようよ。」と何度も祖母や母に言ったが、母から「ママも連れて帰れるなら連れて帰りたいけど、胃ろうや痰の吸引のことを考えると無理だよね。家に連れて帰ってきたら、夜はママも手伝えるけど、昼間、ママは仕事だから、胃ろうのこと、痰の吸引、おむつの交換って、全部ばあばあが一人でしないといけないから大変だよ。」と言われた。
僕は、まだ中学生なので、祖父のお見まいに行くことができない。祖母や母がお見まいに行ったときにビテオ通話で話をするが祖父は、あまり話をしなくなってきている。
僕は昨年、「キッズ認知症サポーター養成講座」を受講した。人とのふれ合いや会話が減ると、認知症が進むと習った。普段、施設で生活している祖父は、大好きな家族とふれ合うことも話をすることもできない。そのせいか、祖父は自分から話すことが減ってしまった。それでも、体調のいいときの祖父は、以前のように冗談を言うこともある。ふざけて僕に「太基。」と兄の名前で呼ぶこともある。そんなときは、「今日のじいじいは調子がいいな。」とうれしくなる。
今、僕が祖父にできることは何だろう。お見まいには行けないが、ビデオ通話で祖父と話をすることはできる。手紙を書くことができる。少しでも早く祖父に元気になってもらい、また家に戻ってきてほしい。車いすでもいいから、また祖父と一緒に散歩をしたい。大好きな祖父に僕ができること、僕はこれからも探していきたい。

