福祉施設SX
出会えてよかった! 外国人介護人材 CASE STUDY 02 社会福祉法人蓬莱会 特別養護老人ホーム ケアプラザたま
今後、人手不足が深刻化すると予測される介護業界において、
外国人介護人材の存在はもはや不可欠です。
日本に魅力を感じ、介護を学んで資格を取得したいと願う若い力を、
私たちはどう伸ばし、どう活用すればよいのか、二つのケーススタディから探ります。
技能教育と日本語教育と 生活面のサポート
今回ご紹介する2つの施設では、それぞれフィリピンとミャンマーからの外国人材を受け入れています。実務経験を経て介護福祉士の資格取得に挑戦する方も多く、国家試験の合否は、外国人本人はもとより、雇用している介護施設にとっても永続的に働いてもらえるかどうかの分かれ目となっています。仕事に従事しながら、いかに技能教育と日本語教育を行い、生活面のサポートをして離職を防いでいるかを伺いました。
CASE STUDY 02
介護施設の運営は、人材がなければ始まらない
外国人スタッフの頑張りが 日本人スタッフのよい刺激に
昨年7月に同じ蓬莱会の徳島県の施設長から異動し、ケアプラザたまの施設長に就任した松永さん。
「平成20年にEPA(経済連携協定)が発足してすぐに私たち蓬莱会では外国人材を受け入れました。ここケアプラザたまでは、一昨年の12月に初めて2名のミャンマー人を、昨年の10月には6名を受け入れました。6名もの大人数を一度に受け入れた経験はなかったので少し不安もありました。でも、素直で前向きで一生懸命な2人の先輩がいたことが、施設長の私にとっても、新たに来た6名にとっても安心材料になったと思います」
こうして外国人材の数を増やしていくことは、単に人手不足の解消だけでなく、日本人スタッフによい刺激を与えるという側面もあるといいます。
「今、日本人の人材は集まりません。専門学校も外国人の留学生がほとんどです。彼らは遠い国から来て、介護福祉士の資格を取ろうという目標をもっています。そしてできるだけ長く日本で働きたいという強い意志がある。その分、勤勉で真面目ですから、やはりそういう姿がまわりによい影響を与えるのだと思います。頑張っている外国人の姿を見ることが日本人スタッフのキャリアアップ志向にもつながっていると思います」
長く働いてもらうためにも 悩みや相談に真剣に寄り添う
外国人材は日本語に苦戦しつつも日本人スタッフに溶け込もうと努力し、逆に日本人スタッフも体調が悪そうな外国人スタッフを気遣うなどコミュニケーションを深めようとしているのがわかるといいます。松永さん自身は身の上相談も引き受けています。
「外国人スタッフは20歳代の若い人たちばかりなので、それこそ恋愛の相談にものります。報酬のことやキャリアアップの悩みにも真剣に寄り添うのは、優秀な彼らに資格を取ったあともここで働いてほしいという願いもあるからです」
介護施設での人手不足が続く一方で地域の高齢者は増え続け、ケアプラザたまでも入所希望者の待機状態が続いているといいます。
「できるだけ受け入れるようにしていますが、それが可能なのも人手があるからです。施設の運営も人がいないと回らない。何が一番大切か。それはやはり人材なのです」
今年も10月に4名のミャンマー人を採用予定。
「外国人スタッフにはもっと介護職のやりがいを見つけて、生きがいをもって暮らせるようになってほしいと思います。そのためには彼らが地域に溶け込んでくれることも大切です。そして地域の方には、介護のことならここに相談しようと思ってもらえるような、地域介護の拠点となるような施設になれたらと願っています」
マスクをしていてもニコニコの笑顔が見えるような明るさと優しさが魅力
従来型のメリットを活かして 学ぶ機会を増やす
Q. 指導体制は?
A. 施設内に従来型とユニット型の両方があります。そこで30人の高齢者を15名から17名のスタッフでケアする従来型で、2名を外国人スタッフにしています。 10人を見るのにスタッフが1〜2名しかいないユニット型と違い、これだけの人数がいれば外国人スタッフを一人にする時間が少ないので、指導しながら仕事も円滑に進めることができます。
Q. 外国人スタッフはいつも松本さんの部下になるのですか?
A. 一昨年、最初に採用した2名のミャンマー人のリーダーも私でした。半年くらい後に1人がだいぶ成長したので違うユニットに異動してもらいました。その1年後に6名が入ってきましたが、さすがに1人で6名は見られないので、いくつかのユニットに分散してもらいました。
Q. 独り立ちまでの流れは?
A. 通常の勤務から始まり、徐々に朝番や遅番を経験させて、「半年後に夜勤ができるようにするのを目標にしましょう」などと背中を押して独り立ちを目指します。
Q. 心がけていることは?
A. どうしても私以外の人に日本語を話すのが恥ずかしいらしく、私にばかり聞いてくるので、日本語の勉強のためにも、私がいないときは他の職員に預けて、私を探したり頼ったりしないようにしています。ちょっと突き放すような感じではありますが、その方が自信もつくし、独り立ちも早いと思います。
Q. ことばの苦労のエピソードは?
A. 普通の言葉はもちろん、擬音や擬態語もまったく通じないのが介護の現場では苦労します。「ふわふわにして」も「キュキュッと」も「パクパク」も「もぐもぐ」も「ごっくん」も「ジメジメ」も通じない。これはできるだけ日本語に慣れてもらうしかありません。職場ではミャンマー人同士でも日本語で話すように指導したり、日本人の同僚とプライベートでも積極的に街に出かけるようにしてもらったり、日本語を使う機会を増やしてもらっています。
INTERVIEW
ケアプラザたま 外国人材インタビュー
きっかけ
介護の仕事を選んだ理由は、ミャンマーにいる時に隣に住んでいたおばあさんが褥瘡で亡くなったのを見て、介護の仕事を学びたいと思ったからです。
感 謝
最初は、日本語もそんなにわからないので、お仕事で間違うことがたくさんありました。でも松本さんや他のリーダーさんも私のお母さんみたい。いつも教えてくれて、手伝ってくれたから。本当にありがとうございます。
喜 び
仕事で楽しいのは食事を介助する時にご利用者とコミュニケーションしたり話したりすることです。ご利用者さまに、「今何歳ですか?」 と聞かれて「子どもみたいな感じ」といわれてうれしい。私の目が「きれいな目だね」とか、「優しい目だね」とご利用者さまにいわれるときが一番うれしい。
苦 労
大変なのはお仕事がなかなか覚えられない時です。夜勤の時は特に大変です。
夢
日本には介護施設がたくさんあるけれど、ミャンマーにはあまりありません。今はミャンマーが平和ではなく帰れないので、介護福祉士の試験を受けて、ミャンマーが平和になるまで日本にずっと住みたいです。そしていずれは、日本で学んだ経験を活かしてミャンマーの施設でボランティアのようなことをしたいです。
後輩へ
ミャンマーから日本に来て介護の仕事から他の仕事に変わった人がたくさんいると思います。でも私は介護の仕事が大好きですから「よい仕事です」と伝えたいです。大変なことは大変だけど。
撮影=柿島達郎/取材・文=箭本美帆