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第7回 和歌山県 社会福祉法人 黒潮園 黒潮園

社会福祉法人 黒潮園 黒潮園
1976年法人設立。77年特養「黒潮園」を開設。以後、92年ショートステイ、99年デイサービスセンターを開設し、施設入所から在宅通所、ケアプラン作成と、総合的な分野で福祉サービスを提供。2014年特養「クレール高森」を開設

 

目指すは“介護の仕事の魅力向上”。
業界の未来が楽しみです

 豊かな自然に囲まれ、古くからの自然崇拝に根ざす熊野信仰が継承されてきた和歌山県・新宮市。今回訪ねた社会福祉法人 黒潮園は、その名の通り、黒潮が流れる太平洋を眼下に望む高台に建っています。

 理事長の岡 司さんは、大阪で理学療法士として医療に従事した後、地元である新宮市に戻り、2008年、33歳の若さで現職に就任。以来、「温かい家庭的な雰囲気のもと、利用者さま一人一人の尊厳の保持と、その個性や価値観を尊重し、夫夫(それぞれ)のニーズと状況を十分に把握して、質の高い福祉サービスを提供するよう努める」という理念の実現に向けて、経営改革に取り組んできました。

 「理念にある『質の高い福祉サービス』とは何かというと、施設に入居しても豊かな暮らしが実現できる『自律』であり、専門的な個別ケアで自立支援介護を実践するための『自立』です。つまり、自律と自立を高い次元で実現するケアこそ、我々が目指すサービスだと考えているのです」と岡さん。

 そして、その質の高いサービスを行ううえで重要なのが「働きやすい職場づくり」だと話します。

 「よりよい職場があってこそ、よりよい人材が集まり、それがより良質なケアにつながっていきます。この好循環をつくり出すために、就任後に職員の給与体系を根本から見直すとともに、介護をはじめとするすべての職員を正職員(無期雇用)にするプロジェクトを立ち上げ、2015年に実現させました」

 そのうえで有休や連休取得の推進、社内研修制度を充実させるなどのキャリアアップ支援、住宅ローン補助手当といった福利厚生を充実させるなど、「職員ファースト」を実践しています。

 

ビジョンを共有した チームづくりを大切に

 そんな黒潮園では今春、物価高騰への対応として法人全体で職員ひとりあたり2万円のベースアップを実施。その強気の取り組みの背景にあるのが、7年連続、施設稼働率99㌫以上という高い財務実績です。  

 「一律2万円のベースアップをするには、トータルで約2900万円かかります。当法人の100床・従来型特養における年間稼働率1㌫を事業収益にすると、450~500万。この数字を踏まえ、稼働率を上げるために私が大切にしているのが、トップが明確なビジョンを示したうえで、実現までの過程を職員と一緒に体感するという姿勢。それが頑張れるチームづくりの秘訣だと思っています」

 

❶各階のコーナーに配置された明るい食堂で、和やかに食事をするご入居者の皆さん ❷太平洋を望む広々とした4人部屋。見守りセンサー「眠りスキャン」とともに、移乗サポートロボット「Hug」の利用で職員の腰痛予防に取り組む ❸地の利を生かし、魚好きなご入居者とそのご家族を魚釣りにお連れすることも。ほかにもドライブなど外出支援を積極的に行っている ❹質の高い福祉サービスは「自律と自立、そして地域社会や家族との交流によって成り立つ」と話す岡さん

 

「専門性のある介護が
施設稼働率に現れる」

ケア改革に取り組み 高い経営力を実現

 実現の過程を職員とともに体感する組織づくり、それは2008年の理事長就任時から始まります。職務に就いた岡さんが最初に行ったのは、職員への無記名式のアンケートとヒアリングでした。

 「その結果、人事制度など職場のルールに満足していない人が多いことがわかりました」

 理念を土台とした働きやすい職場づくりは、こうした声のもと生まれたものです。同時に、理学療法士としての知見から食事の経口摂取や生活面でのリハビリなど自立支援にも積極的な取り組みを開始。

 「介護現場では窒息や誤嚥が怖いからと、刻み食やペースト食を提供することがよくあります。当時の黒潮園もそうでした。しかし、実はそれには根拠がなく、逆に刻み食だと口の中で食塊形成(食べものを一つの塊にして飲み込みやすくすること)がしづらく、またペースト食は付着性から咽頭に残りやすくなります。その結果、喀痰吸引が必要となるケースが増えるのです」

 そこで岡さんは摂食・嚥下委員会を立ち上げ、言語聴覚士による職員向けの勉強会を定期的に実施。ペースト食を廃止して、嚥下に問題がある場合はゼリー食を提供するようにしました。こうして専門性の向上に取り組んだことで、今では約8割のご入居者が常食を食べられるようになったといいます。

 「この活動が、口腔ケアから自立支援を行うという現在の活動(23ページ参照)につながっています。同様に、身体機能の維持・向上を図るためのリハビリも専門スタッフが集中的に行うのではなく、毎日、歩行距離を少しずつ伸ばすなど、介護職員が生活のなかでコーディネートしているのも当園の特徴です」

 これらの取り組みのベースにあるのは、自立支援介護に特化した課題を話し合う多職種カンファレンス。「そこで介護職が主になり、ご利用者の課題と改善案を多職種に提案し、ケアの方針を決定します」

 その成果として入院者数が減ったほか、刻み食を食べていた方が普通食を食べられるようになった、車椅子生活から歩けるようになったことなどが地域で評判となり、黒潮園だけに申し込む入所希望や、ショートステイのキャンセル待ちをするご入居者も。

 「専門性の高い介護への変革が高稼働率に現れており、これに裏付けられた高い経営力で、さらなる職員処遇改善を行う好循環が黒潮園の強みです」

 

トップが夢をもち、実現に 向けてチームで取り組む

 これまでさまざまな改革を成し遂げてきた岡さんは、介護の世界のトレンドは新たな分かれ道に立っていると話します。「お世話をするだけの介護から脱却し、専門性の高い良質なケアを提供することはもはや当たり前。これからはより一層進歩する技術革新を活用した、新たなケアシステムの構築が急がれます」

 このうえで目指すのは“スタイリッシュ介護”。

 「最新のテクノロジーを積極的に導入し、スマートにスタイリッシュにサービスを実践することで、よりスーペリア(上質)な介護を目指したい(左コラム参照)と考えています」

 また、施設のそばに飲食やワークアウト(からだを鍛えるための運動)などが楽しめる職員のためのサード・プレイス(福利厚生施設)を計画中だといいます。

 「介護のイメージを変える新たな世界観を展開したい。そんな夢に向かって、これからも職員と一緒に進みます。介護業界の未来が、すごく楽しみです」

❶年2回、職員全大会を開催し、事業計画やビジョンを職員全員で共有する ❷食事介助もミールラウンドの一部。課題が発見された場合は必要な対策を多職種カンファレンスで検討し、適切な支援方法等を決め、実行する

❸「黒潮園で働きたい」と思う市内および全国の方のために建てられた職員アパート。黒潮園は和歌山県の移住プロジェクトにも登録している ❹現場改革に着手した平成20年(2008年)から、伸長し続けている事業活動収入

 

 

 

 

昨年開催された「第2回JSフェスティバルin岐阜」において特養「黒潮園」の『口腔ケアの実践と年間延べ入院者数の減少』が優秀賞を受賞。ここではその実践研究にかかわった同園の歯科衛生士・梅村麻里さんに、取り組みの内容についてお話をうかがいました。

 

―研究の概要とその背景について教えてください

 黒潮園では2007年から摂食・嚥下に力を入れており、歯科衛生士である私が2020年に入職し、その2年後には、もともといた管理栄養士に加えて、もうひとり、管理栄養士が入職し、3人体制となりました。今はこの3人を中心にミールラウンド(食事の場面観察)や多職種カンファレンスなど、自立支援のためのさまざまな取り組みを行っています。また、歯科衛生士による専門的なケアの実施によって、介護職員も標準的な口腔ケアを行うことができるようになったことで、直近5年間で入院者数が減少した(グラフ参照)というのが研究発表の概要です。

 

 

―高齢者の口腔ケアと自立支援にはどういう関係があるのでしょうか?

 高齢者にかかわらずですが、口の中にはバイオフィルムという細菌が棲み着いています。特に高齢者の場合、口のなかの清掃が足りないと、この細菌が増加し、誤嚥性肺炎の原因となってしまいます。また、口腔ケアが不足すると歯周病が悪化し、歯を失う原因となります。自分の口から食事ができることは自立支援として大切なこと。そのためには口腔ケアをしっかり行い、口の中の汚れを取り除くことが大切です。

 

―具体的に、こちらではどのような取り組みをされているのですか?

 ご入居者一人一人の歯や義歯、歯周病の有無や口腔粘膜疾患など口の中の状況を確認したうえで、例えば誤嚥リスクの高い方やうがいが困難な方に対してはジェルタイプの歯磨き剤と吸引器を使ってケアをするなど、状況に適した口腔ケアを実施しています。

 また、食事介助や食事のときの状態観察も大切にしています。食事があまり進んでいない方は、口のなかに何か問題があることも少なくありませんから。

 

―介護職員の方も口腔ケアをしているとのことですが、ケアの仕方を指導されたということですか?

 はい。歯科衛生士の清掃方法を見ることで、今は介護職員にもしっかりケアをしてもらっています。この取り組みが始まった2020年はコロナ禍で、対面での勉強会ができませんでしたが、その代わり「黒潮園アプリ」という法人内の連絡ツールを活用し、ブラッシングや歯間ブラシなどの使い方を動画で撮影して周知を図りました。今は、引き続きアプリを活用するとともに、対面の勉強会や年数回の新人研修なども行っています。おかげでご入居者の方々に、最低でも1日3回、口腔ケアを行うことができ、重篤な歯周病の方はいなくなりました。

 

―口腔ケアによる成果の確認はどのようにされているのですか?

 毎月、看護師、管理栄養士、各階の介護職員、歯科衛生士が集まって摂食・嚥下委員会を開催し、その月の口腔状態や食事状況などを確認しています。

 

―目指すのは「経口摂取」「常食」なのですね

 そのとおりです。義歯が合わず、おかゆ系を食べていた方もブラッシングで歯肉が引き締まることで常食に移行することがよくあります。また、脳梗塞で意識回復の見込みがなかった絶食のご入居者に継続して口腔ケアを行ったところ、舌の力が強くなり、最終的には常食摂取まで回復した方もおられます。たとえ絶食でも口が乾燥すると細菌が増えて飲み込みも悪くなるので、口のなかを乾かさないことを大切にしています。

 

 

―目指すのは「経口摂取」「常食」なのですね

 そのとおりです。義歯が合わず、おかゆ系を食べていた方もブラッシングで歯肉が引き締まることで常食に移行することがよくあります。また、脳梗塞で意識回復の見込みがなかった絶食のご入居者に継続して口腔ケアを行ったところ、舌の力が強くなり、最終的には常食摂取まで回復した方もおられます。たとえ絶食でも口が乾燥すると細菌が増えて飲み込みも悪くなるので、口のなかを乾かさないことを大切にしています。

 

―最後に、今の課題や展望を教えてください

 課題は、誤嚥性肺炎ゼロを目指し口腔ケアのさらなる強化を図ること。展望は、義歯適応のマニュアルづくりです。新しく義歯をつくる方のなかには、せっかくつくった義歯を異物感などの理由で取り外す方もおられるので、どういう方が適応なのかをマニュアルとしてまとめたいと思っています。

 

社会福祉法人 黒潮園 黒潮園
●和歌山県新宮市三輪崎2471-1 ●tel. 0735-22-5689  ●定員:「黒潮園」100名・ショート10名、「クレール高森」29名・ショート10名 ●http://www.kuroshioen.or.jp

撮影=末藤慎一朗 写真提供=社会福祉法人 黒潮園 取材・文=冨部志保子