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チームのことば

【INTERVIEW】株式会社浜野製作所 代表取締役CEO 浜野慶一

2024.01 老施協 MONTHLY

東京・墨田区にある浜野製作所は、“赤いジャンパーの職人集団”“ものづくりの駆け込み寺”など、さまざまな形容でメディアに何度も取り上げられ、町工場の雄として知られる企業だ。ドラマでも描けないような紆余曲折を経て工場を立て直し、今では日本の多くのハードテクノロジー系のスタートアップ企業のサポートを行っていて、比喩でも何でもなく“墨田区から世界へ”打って出ている会社といえる。今回はその職人集団を率いる浜野慶一社長のお話を伺いに、工場兼スタートアップ支援施設である「Garage Sumida(ガレージスミダ)」を訪ねた。


スタートアップとの仕事がチームの活性化に。
若い人たちから受ける刺激は、従業員たちの縮こまってしまいがちな志を広げてくれます

スタッフの得手不得手に合わせて配属先を決定

 初めに、テレビを中心にこれまで数多くのメディアに取り上げられた、浜野社長と浜野製作所の歩みをざっと説明しておこう。

 ’93年、浜野さんは創業者である父親の逝去に伴い社長に就任するも、当時、既に特定の部品を大量生産する町工場への需要は激減。古くからいた従業員も高齢で引退し、浜野社長と現在は専務の金岡裕之さんの2人だけでほそぼそと事業を続けていた。そんな中、’00年、隣家が火事に。自宅兼工場への延焼は避けられないと悟った浜野さんは、まだ火が収まらないうちから仮工場の手配に奔走、出火原因をつくった大手住宅メーカーが補償をしてくれる前に倒産するという不幸まで重なった。一方で、それまでの大量少品種から少量多品種の部品生産にかじを切ることで、徐々に業績を向上させていく。その後も深海探査艇の開発に参加するなど多方面へ意欲的に事業を展開。そして今では世界的に著名な若手起業家、吉藤健太朗氏のスタートアップ(=革新的アイデアで短期的に急成長の可能性がある企業)を支援したのをきっかけに、’14年には“ものづくり実験施設”「Garage Sumida」を敷地内にオープンする。数々のスタートアップ支援を行い、’18年には天皇陛下(現・上皇さま)がご訪問されるまでになったというものだ。

本社を中心に5カ所の工場があり、どこも明るく洗練されたデザイン。かつて新規に工員を募集した際、面接に来た希望者がみすぼらしい工場を見て帰ってしまった、という苦い経験がある。「Garage Sumida」のある本社板金工場の入り口には天皇陛下行幸記念の碑が立てられている

浜野「少量多品種という発想は父親から教わりました。今の量産の仕事はいずれ海外に出ていってしまうだろうから、精密板金と呼ばれる部品加工で少量多品種の生産をした方がいいと。当時としては先見の明があったと思います」

 かつては墨田区だけで9800ほどあった町工場。今は1600社くらいしかなく、墨田区に限らず、どこもこうした業種転換で町工場は生き残っているのだという。

浜野「多能工化というんですが、いろんな製品を手掛けるためにはいろんな職能がないといけないので、うちではなるべくそうした育成を行っています。僕自身が父の勧めで板橋の町工場へでっち奉公に入り、いろんな職種を経験させてもらったという経験があるんです。いろんな技術や仕事を身に付けるといろんなことが見えてきて、やっている本人も楽しくなると思います。ただ、人間、得手不得手といいますか、同じことをずっと続けるのが得意な人もいれば、すぐ飽きちゃう人もいます。人によっていろいろなので、無理強いはしていないですね。最近入ってくる若い人たちには、配属は自分で決めていいって言っているんです。例えば4年前に入った新卒の社員は開発の仕事がしたいということだったので、まずは図面が見られるようになるために品質管理部で働いて、その後は生産管理の部署へ行き、製造部門で溶接とかも覚えて。で、5年目の’23年から設計開発の部署にいます」

 現在、浜野製作所の事業内訳は、ロボット、装置などの設計開発が4割、そして精密板金が4割。残りの2割が、ものづくりに関する相談や、施設の運営管理だという。

浜野「これは製造業に限らないと思いますが、企業規模が小さくなればなるほど売り上げに対する1社依存度、1業界依存度が高くなる傾向にあるんです。けど、うちは半導体や航空宇宙、建築、バイオ、食品、ロボットなど多種多様な業界、会社さんと取引をしていることでリスクの分散もできていると思います。その分、さまざまなレギュレーションに合わせなきゃいけない手間もあるんですけどね」

精密板金加工やプレス加工の設備がそろう工場。少量多品種製造を事業の中心にするには、工作機械も多品種をそろえなければいけない。多能工を育てることで、これらの機械を効率よく回転させることができ、さまざまなスタートアップ支援も可能になるという好循環が生まれるのだ

スタートアップの支援でスタッフのやる気を刺激

 少量多品種生産のためには機械の種類も多くそろえなければいけない。豊富な機械、多能工、ベンチャースピリット。こうして既にスタートアップ支援の土台が出来上がっていたところに、オリィ研究所を立ち上げた吉藤氏が訪れる。氏は自身の体験から生まれた分身ロボット「OriHime」を開発し、今では世界的な実業家として注目される人物だ。

浜野「当時、彼はまだ大学生でした。でも起業したと。ロボットのアイデアや図面はあるけど工作機械がないってことで、知り合いを通じてうちを訪ねてきたんです。まだ学生なのにしっかりとした高い志を持って起業していることに感心して、一肌脱ごうかと。僕らも火事の後にいろんな人に助けられながらここまで来たと思っていたので、次は自分たちが若い世代を手助けできないかという思いもありました。起業当時はうちのマンションで会社登記して、うちの工場で作業していました」

 このときの支援体験をスキーム化したのが、訪ねた「Garage Sumida」である。

浜野「吉藤君がなかなか義理堅い男でして、有名になってからも、事あるごとに浜野製作所に世話になったと話してくれていたので、同じように起業を考えている人たちから相談が来るようになったんです。そこに墨田区の新ものづくり創出拠点事業の公募があったタイミングで、その制度にエントリーして今の施設を整えました。これまでに300以上の新規事業プロジェクトを支援してきました。ちなみに、今は日本全国でスタートアップが1万社くらいある中の約10%がハードウェア系ディープテック(=特定の自然科学分野での研究を通じて得られた発見に基づく技術。社会実装には時間と資金がかかり、既存のビジネスモデルが適用できないという特徴がある)の会社といわれています」

 このスキームは、支援だけではなく、社内の刺激にもなっている。

浜野「社会人って、同じ仲間と同じ仕事を続けていると、志が狭まってしまうというか、知らぬ間に縮こまってしまう。そんな心を広げてあげたいなという思いで、スタートアップの人たちの志などを朝礼とか会議で社員たちと共有するようにはしていますね」

浜野製作所のオリジナル製品もある。写真は台東区のデザイン会社とコラボしてできた、ステンレス製ながら、紙を折るようにして自分で組み立てることができる「FACTORY ROBO」(左)と「FACTORY ROBO DOG」(右)

いろんな人に支えられて今の僕らのチームがある。
だから私たちも“おもてなし”の心を持つことが大切

チームづくりの意外な手法 全ては社員の幸せのため

 赤い職人集団といわれる目の覚めるような赤いユニホームも、チームづくりに役立ったという。

浜野「この制服にする前は、よくあるグレーの作業着でした。でも、近くにお昼を食べに行って席を立とうとしたら、場所柄周りが工場ばかりということもあって、自分も含めてお客さんが全員グレーの作業着だったんですよ。それが何だか囚人服みたいで、戻ってすぐに通販のカタログを見て、1つだけ、上が赤に下が白っていう作業着を見つけたんです。当時は5人くらいしか社員がいなくて、みんなのサイズは分かっていたので、内緒で注文しました。届いたのでみんなに配ったら、若い社員は『カッコいいですね、今すぐ着ちゃっていいですか?』ってなったんだけど、ベテランの職人さんには『こんなのカッコ悪い。タバコも買いに行けない』って言われたんです。で、カチンときて、ベテラン組が帰った後に古い作業着みんな捨てちゃったんです。そしたら渋々着てくれたんですけど、職人さんがタバコ屋さんから帰ってきたらニッコニコ顔で戻ってきたんですよ。理由を聞くと『タバコ屋さんのおばさんに褒められた』って。これからの町工場はこうじゃないとって(笑)。でも、実は2代目以降の経営者で、先代のときからいる古株の職人さんをどう扱うかって、悩んでいる人は多いんですよ。あまり腫れ物に触るようにしていると、若手社員から反発があるじゃないですか。俺らにはガンガン言うくせにって。そこをうまく融合するアイデアを教えてくれたのが、この赤いジャンパーなんですよね。あとは、うちは7、8年前から、社員全員がiPadを持っていて情報共有だとかは、スラック(社内チャット)などで行っているんですが、導入した当初は年配の人たちのために若手社員がローマ字変換表を作ってあげたりしていたんです。普段は年配社員が『あいつはのみ込みが悪くて』とか言っているのに、立場が逆転するわけですよ。『あいつはこんなことまでしてくれている』と。師弟関係を一回ひっくり返すことで、お互いの気持ちが分かる。これがうちのICT最大の効果でしたね」

赤いジャンパーにした経緯は本文の通りだが、「説明すると長くなるので、『情熱の赤ですか?』と聞かれたら『そうです』と答えている」そうだ。ユニホームがもたらすモチベーションはばかにできないものがある

 Garage Sumidaの壁にも英語で書いてある(⬇写真左)が、浜野製作所の経営理念は“おもてなしの心を常に持ってお客様・スタッフ・地域に感謝・還元し、夢(自己実現)と希望と誇りを持った活力ある企業を目指そう!”である。基本はB to Cビジネスを行わない町工場の経営理念になぜ“おもてなし”の言葉があるのだろうか?

「Garage Sumida」のある本社板金工場の1階には機械が並び、3階が事務所。写真は2階のオープンスペースで、壁には浜野製作所の企業理念が英語で記されている。ここには支援したスタートアップのプロダクトショーケースや植物工場、キッチン、企業が入居する個室もある

浜野「これは’00年の火事がきっかけですね。あのとき、本当に取引先とか、不動産屋さんとか、大家さんとかいろんな人に背中を押してもらった。一人暮らしの大家のおばちゃんが、夕方お鍋に豚汁持ってきて『浜野くんごめんね、作り過ぎちゃったから、助けてくれない?』なんて言うんですよ。10年も一人暮らしをしているんですから量を間違えるわけない。でもそれって粋だし、これぞ江戸っ子のおもてなしじゃないですか」

 ’00年の火事の後、2人だけになった金岡さんに辞めていいと浜野さんは言ったそうだ。しかし、仕事が終わって2人で食事に行くと「次どんな機械を入れたらいいか」など、前向きな話しかしない浜野さんに感心して、金岡さんは共に努力する決心をしたという。また、現在副社長になっている小林さんと宮地さんは、一流大学を出て就職するも「世界を変えられるのは浜野しかない」と転職してきたという。浜野さんに言わせると「大きな勘違いをしている」そうだが、世界を変えるのは会社ではなく人だ。大きさを問われるのは会社の規模ではなく、人の器量であることを金岡さん、小林さん、宮地さんも見抜いていたのだろう。

浜野「今後も経営理念にそぐわないものは一切やらないというのが僕らの考え方なんですけれども、私が目指したいのは、ここで働いている人たちの生活と心が豊かになる。そうした未来を築くことなんです。じゃあ、心の豊かさ、生活の豊かさの指標は何なんだっていう明確な結論はあえて示さない。みんなで天竺を目指すみたいなものですかね。でもそれは、すごくワクワクした道筋なんだと思います。究極で言うと、人生最後の瞬間、浜野製作所で働けて良かったな、生まれ変わってもまたここで仕事がしたいって思ってもらえたら、経営者としてありがたいですね」

受賞歴は数知れず。最近では令和2年の墨田区のすみだリーディングファクトリーSDGs推進部門、経産省からは地域未来牽引企業選定証、ものづくり日本大賞など多くを受賞。グッドデザイン賞は、深海探査艇「江戸っ子1号」を作ったビジネスモデルに贈られた

株式会社浜野製作所 代表取締役 CEO 浜野慶一

株式会社浜野製作所
代表取締役 CEO

浜野慶一

Profile●はまの・けいいち=1962年、東京都墨田区生まれ。東海大学政治経済学部経営学科卒業後、東京都板橋区の精密板金加工メーカーに就職。1993年、先代の逝去に伴い代表取締役に就任。町工場共同で製作した深海探査艇「江戸っ子1号」のほか、産学官連携の電気自動車プロジェクト「HOKUSAI」など、さまざまな事業に取り組む。2014年さまざまものづくり総合支援施設「Garage Sumida」を設立、スタートアップ支援を続けている


※写真提供:株式会社浜野製作所(撮影=香川賢志)
撮影=山田芳朗/取材・文=重信裕之