プレミアム

福祉のかたち

多職種との連係プレーのなかで最高の「アシスト」役に

2021.5 老施協 MONTHLY

“福祉”の将来を多様な視点で捉える本連載。今回は、財政社会学者の井手英策教授に、ソーシャルワークの本質とは何か、また、私たちが人間らしく生きられる社会にするために介護・福祉に携わる事業所や専門職が果たすべき役割とは何か、についてうかがいました。

今月のゲスト

井手英策/慶應義塾大学経済学部 教授

井手英策・慶應義塾大学経済学部 教授
いで・えいさく
1972年、福岡県生まれ。2000年、東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。日本銀行金融研究所、東北学院大学、横浜国立大学を経て、13年より現職。専門は財政社会学。総務省、全国知事会、日本医師会等の各種委員を歴任。『幸福の増税論』(岩波新書)、『ソーシャルワーカー』(共著、ちくま新書)」、『ふつうに生きるって何?』(毎日新聞出版)など著書多数


孤立者を社会に戻すことがソーシャルワークの本質

——著書『ソーシャルワーカー』のなかで、これからの日本を、ベーシックサービスによる生活保障と、地域のプラットフォームづくりの2つのアプローチによって、“弱者を生まない社会”に変えていく必要があるとおっしゃっています。

はい。今後大きな経済成長が見込めず、国民の収入が増えないなかで、国の責任のもとで、教育や医療・介護などのベーシックサービスを充実させ、国民がそれらのサービスにいつでも安心してアクセスできる社会にしていくべきだと考えています。
しかし、ベーシックサービスさえ充実していればいいのかといえば、そうではありません。それだけでは“人間らしい”暮らしや人生を送れることにはならないからです。

——サービスの充実に加えて、何が必要なのでしょうか。

ハンナ・アーレントというドイツの哲学者が、「古代ギリシャの人たちは、人と人の間にあることが“生きること”であり、人と人の間にあることを止めることが“死ぬこと”であると表現した」と言っています。人が「人間」として生きるためには、人と人の間にあることが重要なのです。
たとえば、要介護状態になり、医療や介護の手厚いサービスを受けることができたとしても、その人が地域の人と触れ合う機会がなく、社会から孤立していたとしたら、それは“人間として生きている”とはいえません。“社会的に死んでいる”ことになるのです。
要介護の高齢者だけでなく、障害者やひきこもりの人のなかにも、社会から孤立した状態に置かれている人たちがいます。この人たちを地域の一員として、社会に引き戻すことが「ソーシャルワーク」の本質だろう、と僕は思っています。そして、その役割を担うのが「ソーシャルワーカー」なのです。

ソーシャルワーク

個別の価値観よりも人間共通の価値観の尊重を

——介護施設や社会福祉法人の多くは、サービスを提供するだけのプロバイダーにとどまっている感も否めません。利用者が“人間らしく生きる”ために何ができるのかを考えなければなりませんね。

何も難しく考える必要はありません。医療や介護を提供するときに、自分が利用者と同じ立場に立っても「そのサービスをしてほしい」と思うだろうか、という反証テストを一回だけやればいいのです。たとえば、「精神的障害のある要介護者が動き回るから安全のために拘束しよう」と判断するとき、「自分も同じように拘束されたいか」と自らに問うのです。それでもなお、「拘束されたい」と思うのであれば、やればいい。でも、ほとんどの人は「いやだ」と思うでしょう。「自分がやられていやなことは他人にやるな」と、僕たちは幼いころから教わってきています。シンプルにそれを実践すればいいだけのことです。

——なるほど。介護職であれば、利用者一人ひとりの価値観を尊重して接することが大事だと理解しているはずですから、それを実践すればいいということですね。

そこはどうなのでしょうか。よく「一人ひとりの価値観に合わせて」と言われますが、僕はむしろ、“個別の価値観”よりも“人間共通の普遍的な価値観”を尊重することを重視すべきだと思います。「この人だったらどう感じるのか」ではなく、「人間としてどう感じるのか」。その感覚を忘れないでほしい。
介護職の人が「私はあなたの価値観に合わせてあげています」という意識で利用者に接しているとしたら、それは“上から目線”、あえて言えば権力的であるとさえ思います。そもそも、人の価値観なんて、本人にもよくわからない場合が少なくありません。それなのに、他人の価値観をわかったような気になって振る舞うのは、少し傲慢な気がします。

「サポート」ではなく「アシスト」の意識で

——専門職としてのキャリアがある人ほど、知らず知らずのうちに何でもわかっているような感覚に陥ってしまっているかもしれません。

介護・福祉の現場で使われる「支援・介助・サポート」といった言葉は、どれも「助ける、救う」という意味です。「助けてあげる、救ってあげる」というニュアンスが強く、垂直的な関係を感じさせるので、抵抗感があります。
代わりに、私は「アシスト」という言葉を使います。サッカーでストライカーにラストパスを出す「アシスト」のことです。アシストする人は、ストライカーから距離を置きつつ、常に全体を見ながら、絶妙なタイミングで絶妙のパスを出し、ゴールを生み出します。でも、自分は得点者ではない。介護職に求められている役割も、この「アシスト」ではないかと考えています。
多職種との連係プレーのなかで、お互いが適切な距離を保ちながら、自分が必要とされたタイミングで、専門的技術をすかさず提供する。介護や福祉に携わる人に求められているのは、こういう意識ではないでしょうか。

——わかりやすいたとえだと思います。

「サポート」ではなく、あくまで「アシスト」ということです。英語のassistの語源であるラテン語のassistereの本来の意味は、「そばに立つ」ということです。これは、寄り添ってあげるという日本のイメージとは違います。「あなたがつらいとき、私は無力で何もしてあげられないけれど、そばにいるからね」というニュアンスの言葉で、水平的な関係を感じさせます。

——最後に、介護・福祉に携わる読者に向けて、メッセージをいただけますか。

介護職・福祉職の人は、他人は気にかけても、自分のことは後回しにする人が多いと感じています。もっと自分を好きになったほうがいいですよ。自分を愛することと他人を愛することは、何も矛盾しないのですから。
僕は自分が好きで好きでたまらない。大好きな自分だから、誰からも愛されたいじゃないですか。だから僕自身も他人を愛し、優しく接します。他人から認められたいので、仕事にも一生懸命励みます。そうすれば、優しくなれる。成果や業績も上がる。良いことづくめではないでしょうか。介護・福祉に携わる人たちが自分を愛するようになれれば、間違いなく介護・福祉の質がもっと向上し、利用者も事業所も社会も幸せになるはずです。僕はそう信じています。

今回のポイント

1)弱者を生まない社会をつくるには、ベーシックサービスの充実に加え、社会環境を調整し、変革するソーシャルワークが鍵となる。
2)「ソーシャルワーク」の担い手として、介護施設や社会福祉法人は、サービスプロバイダーを超えて、地域社会に働きかけることが求められる。
3)ソーシャルワークにおいては、「人間としてどう感じるか」という普遍的な価値観を大切に。
4)「助ける、救う」という垂直的な福祉観ではなく、「アシストする」という水平的な関係で利用者と向き合うべき。
紀伊信之

紀伊信之
株式会社日本総合研究所
リサーチ・コンサルティング部門高齢社会イノベーショングループ部長
きい・のぶゆき
1999年 京都大学経済学部卒業後、株式会社日本総合研究所入社。B2C分野のマーケティング、新規事業開発等のコンサルティングを経て、2018年4月より現職。介護現場へのテクノロジー活用をはじめとする介護・シニア・ヘルスケア関連の調査・コンサルティングに従事。在職中、神戸大学にてMBA取得