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福祉のかたち

「世帯のQOL」を向上させ社会全体を豊かにする介護・福祉

2021.8 老施協 MONTHLY

これからの“福祉”をさまざまな視点から考える本連載。今回は、仕事と介護の両立を支援する事業を展開している株式会社リクシス副社長の酒井穣氏に、社会における介護・福祉サービス事業の位置づけや、その取り組むべき課題についてお話しいただきました。

今月のゲスト

酒井穣/株式会社リクシス代表取締役副社長

酒井穣/株式会社リクシス代表取締役副社長
さかい・じょう
慶應義塾大学理工学部卒業。オランダTIAS School for Business and Society経営学修士号(MBA)首席。商社にて新規事業開発に従事後、オランダの精密機器メーカーに光学系エンジニアとして転職し、同国に約9年在住する。帰国後、フリービット株式会社の取締役を経て、2016年に株式会社リクシスを創業。自身も30年にわたる介護経験者であり、認定NPO法人カタリバ理事なども兼任する。『はじめての課長の教科書』『ビジネスパーソンが介護離職をしてはいけないこれだけの理由』など著書多数


家族の犠牲の上に成立している側面も

——今の介護・福祉サービスは利用者個人のみを対象としたもので、家族も含めた視点が欠けているという持論を展開されています。

世の中の介護サービスは要介護者本人のQOL向上はうたっていますが、要介護者の家族のQOLに配慮した視点はあまりないのではないかと思っています。介護サービスによって利用者本人が救われる一方で、家族の生活や人生はどうなるでしょう。離職や経済的困窮、家族間の人間関係の悪化などが頻発し、生活が破綻しかかっている人も少なくないと思います。
利用者をサポートするサービスしかないなかで、家族のQOLに目を向けるサービスがあってもいいのではないかと、株式会社リクシスを立ち上げました。当社では、現役世代の視点から、介護リスク・介護負担を軽減するサービスや、高齢者世代の健康寿命延伸に関わるサービスを行っています。

——家族へのサポートに着目されたきっかけは何だったのですか。

私は母子家庭のひとりっ子として育ち、17歳のころから、母の介護を続けてきました。母の体調が悪化するたびに病院を受診しましたが、医療上必要性がないと判断されれば入院できません。精神疾患なので目が離せなかったのですが、学生時代には、どうしても出席が求められる授業に出るために、泣く泣く母を一人家に置いて学校に行ったこともありました。生計も立てなければならなかったので、アルバイトも休めません。医療職や福祉職の人は母を救うことは一生懸命考えてくれても、私の心配はしてくれないように感じました。
こんな体験も当社の立ち上げにつながっています。もちろん、要介護者のQOLが向上することで家族の負担が軽減し、結果的に家族のQOLも上がるというケースも多いでしょう。一方で、要介護者のQOLを向上させるために家族が多大な負担を強いられているケースも少なくありません。ケースバイケースであることは当然としても、そうした家族の犠牲にも、もっと社会の目が向けられるべきだと思っています。

図表 介護離職による経済損失は約6,500億円

介護・福祉は社会全体の“責務”

——要介護者を抱えながらも家族が学業や仕事を続けられ、普通に生活が送れるような社会を、ということですね。

そうです。これからの介護・福祉は個人のQOLだけでなく、家族も含めた世帯レベルのQOLをアセスメントし、利用者本人のみならず、家族の生活を維持させるための支援にも注力すべきです。
単に「家族を犠牲にするな」と言っているのではありません。家族レベル、世帯レベルのQOLを向上させるということは、現役世代が安心して仕事に専念し、収入を得ることで、それ相応の税金を納めることにつながっています。そして、その税金によって社会は支えられていきます。
一人ひとりが収入を得て、税金を納めることができないと、十分な税収を確保することができません。税収が下がれば、結果として介護・福祉に回すお金も足りなくなるという悪循環に陥ってしまうのです。今、日本の社会はすでにそうなりつつあります。経済が回らず、社会が貧困化していくと、介護・福祉のレベルもどんどん低下していくことになります。

——そうなると、介護・福祉に携わる人たちは利用者の家族支援にまで手を広げなくてはならなくなります。

まず変えなければならないのは、私たちの考え方や社会の仕組みです。介護・福祉職の人たちはもう十分頑張っていて、むしろ頑張りすぎているといえるかもしれません。
介護・福祉業界の人が介護・福祉を自分たちの仕事として利用者のQOLを真剣に考えれば考えるほど、業界の外にいる人たちは「介護・福祉は“優秀なプロ”に任せておけばいい」と考えるようになります。その結果、社会が介護・福祉に関心を持たなくなってしまう面もあると考えています。つまり、介護・福祉業界とそれ以外の業界に社会的な分断が起きてしまうのです。
介護・福祉業界の外にいる一般の人たちが、介護・福祉をその業界だけのものにせず、もっと関心を寄せて、その実情を理解することが分断の溝を埋めるためにも必要です。介護・福祉は“介護・福祉業界の仕事”ではなく、社会の根幹に関わる問題であり、社会を構成するすべての人々の“責務”であるという認識が求められます。

酒井穣/株式会社リクシス代表取締役副社長

介護・福祉事業は税収確保に貢献している

——一般の人たちに、介護・福祉の問題を社会の根幹に関わる、自分事として受け止めてもらうことは容易ではないと思います。業界の中にいる人が、外の人に向けてどのような発信をしていけばいいでしょうか。

私自身の経験が、まさにそうなのですが、介護・福祉業界が存在しているからこそ、自分の仕事に集中できるのです。「介護・福祉業界は、税金を使うばかり」という主張に出会うことがありますが、それは間違っています。介護・福祉業界の存在があればこそ、他の業界で仕事をしている人々が、自分の仕事に集中できるのです。
そうして、自分の仕事に集中できる環境があればこそ、国は、人々から税金を受け取ることができるわけです。すなわち、介護・福祉業界の存在は、社会のインフラであって、電気や水道と同じように「それなしでは社会が回らない」のです。そうした事実が、より広く認識される必要があるでしょう。

——確かに、介護・福祉業界は税金を使う側であって、税金を稼ぐ側というイメージはありません。まず、意識を変えるところから始めなければなりませんね。

はい。介護・福祉業界が、どれだけ、国の税収確保に貢献しているか、その仕事のおかげでどれだけの経済効果があるかといった試算を、業界もこれまできちんとしてこなかったのではないでしょうか。外部のシンクタンクなどに協力してもらい、根拠のあるデータを提示できれば、行政や一般の人たちの介護・福祉業界に対する捉え方も変わってくると思います。
介護・福祉にもっとお金をかけて、利用者家族のQOLの向上にもつなげていければ、経済活動がより活性化し、税収が上がって社会も発展していきます。介護・福祉にお金を投じることは、社会への“投資”だという認識が求められているのです。

今回のポイント

1)これからの介護・福祉は、本人だけでなく、家族を含めた「世帯レベルのQOL」向上をめざすべき。
2)家族が安心して仕事に専念できることは、結果として、税収という形で介護・福祉の財源にもつながっている。
3)重要なのは、介護・福祉が生み出している価値を「業界の外」にいる人たちに認識してもらうこと。
4)介護・福祉へお金を投じることは、社会への“投資”であることを、根拠あるデータとともに提示していくことも有効ではないか。
紀伊信之

紀伊信之
株式会社日本総合研究所
リサーチ・コンサルティング部門高齢社会イノベーショングループ部長
きい・のぶゆき
1999年 京都大学経済学部卒業後、株式会社日本総合研究所入社。B2C分野のマーケティング、新規事業開発等のコンサルティングを経て、2018年4月より現職。介護現場へのテクノロジー活用をはじめとする介護・シニア・ヘルスケア関連の調査・コンサルティングに従事。在職中、神戸大学にてMBA取得