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福祉のかたち

「ポジティヴヘルス」で誰もが“幸せ”になる社会へ

2021.7 老施協 MONTHLY

“福祉”の未来を新たな視点から見つめ直す本連載。今回は、在宅医療の現場で病気や障害を持つ患者を支えるプロジェクトを展開してきた医師の紅谷浩之氏に、“健康”の新しい概念である「ポジティヴヘルス」の意義や、その活かし方についてうかがいました。

今月のゲスト

紅谷浩之/医療法人社団オレンジ理事長

紅谷浩之/医療法人社団オレンジ理事長
べにや・ひろゆき
2001年、福井医科大学(現・福井大学)医学部卒業。福井県立病院、福井県内の診療所勤務を経て11年、在宅医療を専門に行う「オレンジホームケアクリニック」を開設。その後、医療的ケア児の活動拠点「オレンジキッズケアラボ」や、まちなかで住民の相談に応じる「みんなの保健室」、地域の幼小中一貫校との連携による病児保育を中心とした在宅医療拠点「ほっちのロッヂ」を立ち上げるなど、数多くのプロジェクトを展開している


健康を“状態”ではなく“能力”で捉える

——「ポジティヴヘルス」という新しい健康の考え方に着目し、医療や介護のあり方についてさまざまな提言をされています。まず、ポジティヴヘルスとはどのような概念なのでしょうか。

2011年にオランダの家庭医、マフトルド・ヒューバー先生が唱えた、新しい健康の概念です。健康の考え方については、WHOが「病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態にあること」と定義しており、これが世界共通の認識となっています。
これに対し、ヒューバー先生は「社会的、身体的、感情的な問題に直面したときに適応し、本人主導で管理する能力としての健康」というコンセプトを掲げました。健康を身体や精神の“状態”ではなく、問題に適応したり体調を管理したりする“能力”で捉えている点が非常に新しいといえます。

——ポジティヴヘルスの考え方に出会ったときに、ビビッときたということですね。

そうですね。私が診てきた在宅の患者さんや医療的ケア児たちは、WHOの健康の定義でいうと完全に“不健康”な人たちです。しかし、身体がほとんど動かなくなったALSの患者さんが電動車いすで自在に移動し、パソコンを駆使して起業したりしている。その意欲や行動力を見ていると、とても“不健康”とは思えません。私なんかよりずっとパワフルで幸せそうです。そう思ってしまう医師の自分は、どこかおかしいのかなと“矛盾”を感じていました。
ところが、ポジティヴヘルスのコンセプトでいうと、その患者さんは自ら問題に適応し、自分をコントロールする能力が高いので“健康”なのです。多くの人たちが、「身体が動かなくて弱々しく不幸」と思う人でも、自分の能力を発揮して社会で活躍し、夢を実現している幸せな人がいる。身体は動いても、自分の能力が発揮できず、意欲も湧かない人と比べれば、はるかに“健康”だといえませんか。ポジティヴヘルスに出会って、私が医療現場で感じていた“矛盾”が解けたわけです。

ポジティヴヘルス

自己コントロール力で来院しなくて済むように

——ポジティヴヘルスでは、健康をどのように評価するのですか。

健康の評価項目は、「身体の状態」「心の状態」「いきがい」「暮らしの質」「社会とのつながり」「日常機能」の6つがあり、それを「クモの巣」と呼ばれるチャートで総合的に評価します。各項目を0〜10点で自己評価するのですが、「点数が低いからダメ」とか、「点数を上げなければいけない」という評価の仕方はしません。
今の点数をどう解釈し、どうしたいと思うかは、その人次第。専門職が指導するのではなくて、自分で主導的に自らの健康をコントロールすることが大事なのです。

——実際に、ポジティヴヘルスの考え方をどのように活用されているのでしょう。

診療の場に限らず、学校の健診などにも使っています。子どものうちから、健康を自己管理する感覚を身につけることには大きな意義があると感じています。
たとえば、ポジティヴヘルスの考え方を身につけた、頭痛もちの小学生は受診時に、どういうときに頭痛がひどくなるか、どうすれば頭痛が起こりにくいか、薬を何錠飲めば症状が治まるかといったことを自己分析して私に報告してくれます。「だから、今回は薬を何錠ほしい」と自分で決めることもできます。
頭痛を、自分を悩ませる“敵”と思わずに、体調不良に気づかせてくれる“仲間”だと捉える。そうすれば、「頭痛は睡眠不足で起こりやすくなるから、明日の遠足に備えて今日は早く寝よう」というふうに対処できる。頭痛を“自分のもの”としてコントロールできているということです。
すべての患者さんがそういうふうに健康を自己コントロールできるようになれば、病院に行く回数も減らせます。医師はよく「何かあったらいつでも来なさい」と言いますが、「何かあったとき」に自分で対処できるようにしたり、「何か」が起こらないようにコントロールしたりする方法を患者さんに伝え、病院に来なくて済むようにすることが、医療本来の役割だと思います。

紅谷浩之/医療法人社団オレンジ理事長 教授

「いいところ」に着目し日々のケアに活かす

——ポジティヴヘルスの考え方を、介護現場にも活用できますか。

「クモの巣」は、介護サービスの利用者さんにも日常的に使えるでしょう。特養の入所者の場合、要介護度が高く持病もあるでしょうから、本人も介護担当者も「低い点数しか出ないだろう」と思いがちですが、やってみると意外と良い面があると気づきます。ネガティブな結果のほうではなく、良い結果のほうに着目するのがポイントです。
介護職の人も、入所者の身体の状態やADLは気にしますが、「いきがい」や「暮らしの質」は軽視しがちかもしれません。「クモの巣」の六角形の評価軸を使うだけで、「今まで自分が着目していた項目は6分の1に過ぎなかった」と気づかされる。それだけでも大きな意味があります。

——目の前の利用者を多面的に見るということですね。

そうです。そして、ポジティヴヘルスの評価結果をケアに活かしてほしいと思います。低い点数を上げるという観点ではなくて、良い面をつなぎ合わせてケアに結びつけてほしいのです。
ぜひ週1回、月1回でもいいので、ユニットのチームで話し合って、利用者さんの「いいところリスト」をつくってみてください。「あの人はゴミ集めばかりしている」ではなく、「きれい好きでゴミを拾ってくれている」と良いほうに解釈し、そうした「いいところ」を積極的に見つけるようにします。そうすると、利用者さんも介護職も“幸せ”な気持ちになれるはずです。
人の悪いところ(病気)を見つけ出してつぶしたら“幸せ”になれる、というのは医療的発想です。専門職から「ここがダメ、そこもダメ」と指摘されたら、誰でもイヤな気持ちになるでしょう。そうではなく、その人の「いいところ」を認めて、その人のやりたいことを支援することが大切です。そうしたスキルは医療職よりも介護職や福祉職の人のほうが高いと思います。医療や科学に支配されつつある介護の世界で、本当の“幸せ”を守り続けてほしいですね。

今回のポイント

1)「ポジティヴヘルス」は、「健康」を、問題に適応したり、体調を管理する「能力」として捉える考え方。
2)「クモの巣チャート」を参考に、「身体の状態」「日常機能」だけでなく、「心の状態」「いきがい」「暮らしの質」「社会とのつながり」に目を向けたケアの実践を。
3)悪いところ・できないことをなくしても「幸せ」になれるとは限らない。その人の「いいところ」を見つけ、伸ばして「幸せ」をめざすことが、介護職や福祉職に期待される。
紀伊信之

紀伊信之
株式会社日本総合研究所
リサーチ・コンサルティング部門高齢社会イノベーショングループ部長
1999年 京都大学経済学部卒業後、株式会社日本総合研究所入社。B2C分野のマーケティング、新規事業開発等のコンサルティングを経て、2018年4月より現職。介護現場へのテクノロジー活用をはじめとする介護・シニア・ヘルスケア関連の調査・コンサルティングに従事。在職中、神戸大学にてMBA取得